「セビリアの理髪師」「ウィリアムテル」などのオペラの作曲家としてよく知られているジョアーノ・アントニオ・ロッシーニはイタリアのベーザロに生まれました。
父ジュゼッペは食肉工場の検査員をしながらトランペット奏者をしており、母アンナはパン屋の娘で歌手でした。両親によって早くから音楽教育を受けたロッシーニは、18歳でオペラを書き始め、20歳には「タンクレディ」「アルジェのイタリア女」が初演後たちまち大ヒット、24歳では「セビリアの理髪師」がヨーロッパ中で大流行します。その後も数々のオペラを書き、37歳の時に大作「ウィリアム・テル」を作曲した後は、オペラは作曲せず、自宅のサロンなどで演奏会を開いて、ピアノ曲を中心に自作曲を披露していました。
ロッシーには1836年、44歳の時にイタリ北部のボローニャで引退生活に入り、その後亡くなるまで、優雅で幸せな生活を送りました。
私生活では、美男子で若い頃はかなりモテたと言われています。
30歳で歌手のイザベラ・コルブラント結婚、素晴らしい歌手でロッシーニとのコラボレーションは大成功しました。色々あって1837年からは別居しましたが、ロッシーは彼女が60歳で亡くなるまで経済的支援を続けます。
その後54歳で、文豪・バルザックの愛人で高級娼婦オランプ・ペリシエと恋に落ちて結婚、オランプは淋病、うつ病、直腸癌というロッシーニを支えて暮らします。
オランプとの結婚生活は順調で、結婚後ミラノに新居を構え幸せな生活を送っていたようです。音楽と美食の日々をロッシーニが亡くなる76歳まで2人は楽しんだといわれています。
ロッシーニのピアノ曲「妻への愛撫」Une caresse à ma femmeは、老いの過ち 第6巻「如才のない子供たちのためのアルバム」 Péchés de vieillesse Book VI ”Album pour les enfants dégourdis” の第7番です。
「老いの過ち」はロッシーニ晩年の作品の総題です。ロッシーに自身が自宅サロンで披露した作品などを集めて編集したもので、ピアノ曲を中心に、声楽曲、室内楽曲など多彩な作品がおさめられた曲集です。
淡々とした優しく美しいメロディーの「妻への愛撫」は献身的な妻オランプ・ペリシエにおくられたものと思われます。
妻への愛情が溢れるこの曲が、私は大好きです。ぜひ聴いてください。
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