この曲は、マリー・ダグー伯爵夫人の肖像画です。
マリー・ダグー伯爵夫人はダニエル・ステルンというペンネームで作家・ジャーナリストとして活動する、当時のパリの社交界を代表する人物のひとりでした。
リストとマリー・ダグー伯爵夫人は、1832年頃リスト21歳マリー27歳の時に出会いました。
美しく知性にあふれたマリーと、若く才能あふれる音楽家であるリストは、自然に惹かれ合い、1835年から4年間、ジュネーブ、パリ、イタリアなどで同棲し、ブランディーヌ、コジマ、ダニエルの1男2女が生まれました。
しかし演奏活動のために各地を駆けずり回るリストは、マリーと会う時間がなかなか取れず、またマリーは演奏と創作については、さほど関心を持っていなかったこともあり、2人の間には少しずつ亀裂が入り始め、1844年5月に2人は別れる事になります。
この曲の、時には甘く優しい、時には切なく悲しいメロディーは、全12曲の中で最も美しく、心に響きます。
第10番「昔々」はカロリーネ・ツー・ザイン=ヴィトゲンシュタイン伯爵夫人に出会った頃の思い出である、という解説もみられますが、フランク先生は、この「クリスマスツリー」を書いた最後の年、1876年に亡くなったマリ・ダグー伯爵夫人偲んでいると考えておられます。
冒頭のフレーズは「アヴェ・マリア」という言葉にぴったりです。
リストの最初の「アヴェ・マリア」は有名なシューベルトの歌曲をピアノソロにアレンジしたものでした。
リストがジュネーブのコンサートでこの曲を演奏した時、マリーへの手紙で「アヴェ・マリア」の言葉のメロディーを演奏するたびに、あなたのことだけを考えている」と述べています。
次の「アヴェ・マリア」は、イタリアのミラノのブレラ美術館でラファエロの「聖母の結婚」から刺激を受け、1838年にイタリアで作曲されました。
巡礼の年第2年「イタリア」第1番 Sposalizio(婚礼)という名前で出版されたこの曲は、マリーに対する魅力的なジェスチャーかもしれません。
その後に作曲された多くの「アヴェ・マリア」の作品では、合唱曲もピアノ曲も、この第10曲の冒頭のフレーズと同じように、最初の主題のフレーズで「アヴェ・マリア」の言葉をたどる事ができるそうです。
そしてこのエレガントな曲の途中、最後にPrimoの片手だけで何度も奏される、ソロの長い音は「Jadis」ジャーディ(フランス語で昔々という意味)という言葉にぴったりです。
繰り返し現れるこのフレーズは、ため息の様でもあり、その後の長い休符は呼びかけても答えがない時の様で、切なく美しいです。
マリー・ダグー伯爵夫人自身の事、リストとの事を知って、この曲を演奏すると、フランク先生が言われるように、マリーの肖像画が見えてくる様に思います。
それでは、第10曲「昔々」聴いてみてください。
2021年10月31日 三和レコーディングスタジオにて録音
Primo:磯部太美枝
Secondo:リヒャルト・フランク
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